[ワールドカップ連載・第9回]ストライカー英雄伝説~アラン・シアラー編~
ども~。つぶおです~。
イニシャルってあるよね。
日本のイニシャルはいつから逆になったの??
例えば、鈴木イチローなら「I.S」でしょ。
でもつまらないテレビ番組によくあるイニシャルトークとかいう企画の時って、鈴木イチローなのに「S.I」にしてしまっている。
ああいうことするから見てる人は勘違いするんだよ。
いつから変わったのか、そもそも変わったのか。誰か知っている人がいるなら教えて欲しいよ。
外国人が日本人を「スズキイチロー」ってそのまま呼ぶ時代になったの?
ホントに最近
(もう20年ぐらい前からだけど)の民放のテレビ番組って見るに値しないのばっかりだね ヽ(`-´#)ノ
さて、今回の英雄。
「イングランドってイギリスとどう違うの?」っていう素朴な疑問を放置している人は意外と多いんではないだろうか。
正確には「イングランド=イギリス」ではない。
イギリスとは別に、「イングランド」という国があるのだ。
「イギリス」=「グレート・ブリテン+北アイルランド連合王国」
さらに
「グレート・ブリテン」=「イングランド」+「スコットランド」+「ウェールズ」。
この3つはそれぞれに独立した国。
これ+「北アイルランド」で「イギリス」っていうことになる。
なんか言葉で説明するとややこしいね(;´・ω・)
実は、イングランドはサッカーの母国なのである( *`ω´)ブラジルではないのだよ。
そんな、イングランドから英雄をご紹介しよう。
イングランドの英雄・アラン・シアラー
「アラン・シアラー」これがこの人の本名でフルネーム。
サッカーファンの間では「ビッグ・アル」とか「ザ・ゴールマシン」とも呼ばれている。
ザ・ゴールマシンて…ねぇ。そのままやん(;’∀’)
特に90年代のイングランドを代表するストライカー。
世界のストライカーの中には気性の荒い(そういう人はたいがい素行も悪い)プレイヤーも多いんだけど、
シアラーはとても紳士なストライカーである。
カード(イエローカードは「警告」。レッドカードは「即・退場」。(同じ試合で)イエローカード×2で退場。カードが出る理由にはいろんなものがあるけど、簡単に言うとタチの悪い反則に出される。)
を貰うことはほとんどない。と言っていい。
そんなシアラーは、サッカー選手としてだけでなく、その人柄も慕われている。
シアラーは、1970年。イングランド・ニューカッスルに生まれる。まだ若いね。
地元イングランドのクラブ「サウサンプトン」のユースチームの出身で、1987年にトップチームへと昇格する。
デビュー戦となった「VSアーセナル」戦でいきなりハットトリック(1試合に一人で3点以上取ること)を達成する。
こういった場合(野球なんかで初打席初ホームラン。一軍通算1本塁打で引退とかいうパターンね)、それだけで消えていくパターンもあるけど、シアラーは一発屋ではなかった。
このシーズンは5試合に出場たものの、ハットトリックの3得点で終わった。
3年連続得点王という驚異的な記録を樹立
一発屋の雰囲気を残しつつも、デビューでハットトリックのインパクトは強烈で、
イギリス中に「アラン・シアラー」の名が轟いた。
その後、シアラーは1992年に「ブラックバーン・ローバーズ」に移籍。
ここからシアラー伝説の本編が始まる。ハットトリックは予告編ね。
1993・94、1995・96の3シーズンで30得点を超える驚異的な記録を作る。
さらに、1994・95シーズンにはクラブをリーグ初優勝へと導く。
イングランド代表となったシアラーは、得点王。リーグ通算100ゴールを達成。早っっ( ̄◇ ̄;)
そんなシアラーを他のクラブが黙って見ているわけもなく、(ユベントスやマンチェスター・ユナイテッドなど)たくさんのビッグクラブからのオファーが続々と寄せられる。
しかし、生まれ故郷に残り、尊敬する「ケビン・キーガン」が監督を務める、「ニューカッスル・ユナイテッド」でのプレーを決意する。
この時シアラーの移籍金は当時の最高金額の1500万ポンドだったヽ(´Д`;)ノ
そして、背番号「9」を与えられる。(9はチームのエースストライカーに与えられる栄光の背番号なのだ。いろんなチームの9を見てみるとおもしろいよ。)
ニューカッスル入団後もシアラーの快進撃は続き、またしてもプレミアリーグ(イングランドサッカーのトップリーグ)3年連続得点王という驚異的な記録を樹立する。
1998年、ワールドカップ・フランス大会では代表キャプテンを務める。
その後、シアラーは2000年に代表引退をしたが、それから何年もイングランド国内では代表復帰を望む声が多く聞かれた。
日本でいうとカズみたいなポジションの人なのかもしれないね。年も近いし。
FIFA100(世界の偉大な100人のサッカー選手)に選出!
こっからがすごい。
2002年にはプレミアリーグ10周年記念の国内最優秀選手に選ばれ、FIFA(国際サッカー連盟)100周年の記念式典では、サッカーの神・ペレに「FIFA100(世界の偉大な100人のサッカー選手)」にも選ばれた!!
すごいぞ!シアラー!!カズも入れてくれ!!!(^o^)ノ
2004年に引退を発表したものの、ファンの熱い熱い要望で撤回し、05・06年シーズンもプレイした。
新戦力のマイケル・オーウェン(←この人も機会があればご紹介したい!)とのフォワード・ゴールデンコンビを形成した。
この二人、当時のフォワード最強のコンビだったと思う。
2006年には(同チーム)通算200ゴールを達成。
クラブ通算651試合・283得点。代表通算63試合・30得点。
いや、それにしてもすごい記録だ。代表で30得点ってスゴすぎる(゜д゜)
2006年の引退式はとても感動的なもので、誰もがシアラーとの別れを惜しんだ。
こんなにもプレイヤーとしての引退を惜しまれた選手はそうそういないと思う。
それは、シアラーがサッカーのプレイだけでなく、それ以外の面でも信頼の置ける人だったことが理由の一つだと思う。
2006年。シアラーにとっての引き際だったのだろうね。
今でもシアラーを語る人が多いのも頷けるところである。
スポーツ選手の中にはプレイは一流でも、それ以外はちょっとね…という人も多いのだが、僕はシアラーというプレイヤーは、「ほぼ」完璧なプレイヤーだったと思う。
プレイヤーとして、人として、僕の大好きな選手の一人である。