[ワールドカップ連載・第3回]ストライカー英雄伝説~ヨハン=クライフ編~
ども~。つぶおです~。
外出先で手を洗う時にセンサー付きの自動水道(こんな名前でいいのかわからないけど)はどうにかならないのかな。
あの水圧の弱さとセンサーの反応の悪さにイライラするねぇ (๑`→Д←´ ๑)
しばらく待ってみて(´・ω・`)
出ないから行こう(ヾ(´・ω・`)
とすると出る時あるやん(´д`)ェェエエ工
さて、今回はサッカー界の英雄をご紹介しよう。
世界にはたくさんの伝説的ストライカーがいるけど、ワールドカップに焦点を絞ってみよう。
80年以上の歴史を持つワールドカップでは、数々の名ストライカーが誕生した。
その中で、ペレとかマラドーナとか名前だけなら誰でも知っている人ではなくて、知っている人が2位(←僕の勝手な判断)ぐらいの人をご紹介しよう!!(`・∀・´)
オランダの英雄・ヨハン=クライフ
「ヘンドリック・ヨハネス・クライフ」これがこの人の本名でフルネーム。
1947年オランダ生まれの(元)選手で現在は指導者を引退しコメンテーターなどとして活躍している。
あ、「ストライカー」とは何かと言うと、いわゆる「ポイントゲッター」。野球で言うと「スラッガー」。
チームの得点を量産する人のことだね。
サッカーでは、前線のポジション「FW・フォワード」「MF・ミッドフィールダー」の選手がこのストライカーになることが多い。
話は戻り、
クライフは、一般的には変人とされている。何を基準に変人呼ばわりするのかわからないけど、
僕も含めて、変人本人は周りが変人に見えることが多い(=_=)
そして、変人と呼ばれる人の中には稀代の天才がいることがある。
幼い頃からサッカーばかりで育ったクライフは、若干10歳で地元オランダのクラブ「アヤックス」に入団。
この時点で十分スゴイんだけど、さらに入団後、ボキボキと頭角をあらわし、
1964年またもや若干17歳にでデビュー。
サッカー選手としてはかなり細身のクライフだったが、
ひとたびピッチに出るとそんなことは関係なかった。
プレイの一つ一つが力強く、どんなファールにも屈しなかった。
何よりもすごいのが、怪我をしない選手であったこと。
僕は、この「怪我をしない」っていうのが一流のアスリートになる条件だと思う。
どんなに優れた能力があっても、怪我ばかりで試合に出れないと話にならないし、英雄にもならないでしょ。
イチローとかマイケル=ジョーダンとかも見てもらえばわかると思う。
体が和らいんだね。きっと( ゚ー゚)
名門「バルセロナ」がクライフ獲得企むも、失敗に終わる
そんなクライフを各クラブのスカウトが放っておくはずもなく、
すぐにあの名門「バルセロナ」がクライフ獲得に動き出した(・∀・)
入団直前まで交渉が進み、バルセロナへの門をくぐろうとした時に
またも、あの名門「レアル・マドリード」の横槍が入る。
スペインサッカー連盟(当時レアルの言いなりだった)が外国人選手規定をいきなり変更。
強引とも言える方法で、無理やりクライフをバルセロナから引き離した。
結局オランダに残ることになったクライフ。
しかし、これが結果的によかったのかもしれない。
その後クライフはアヤックスの伝説の選手となる。
オランダ・トータルフットボールの生みの親「リヌス・ミケルス」指導の下、
クライフ擁するアヤックスは、1970シーズンからヨーロッパ王者を決める「UEFAチャンピオンズカップ(リーグ)」3連覇の偉業を成し遂げた。
そしてヨーロッパ最高の選手となり、「ヨハン=クライフ」の名は世界に轟くことになる。
そして1973年。かつて獲得を断念したバルセロナが200万ドル(現在で換算すると100億円は軽く突破すると思われる)もの超巨額の移籍金でクライフを獲得。
この200万ドルはバルセロナが獲得を断念した3年前の13倍の金額。
すごすぎる(∵`)
バロンドール(世界最高のサッカー選手に送られる賞)を獲得し、伝説のサッカープレイヤーに
晴れてバルセロナに入団したクライフは、200万ドル以上の価値のあるプレイをする。
バルセロナは22戦無敗の連続記録を作り、
1974年のクラシコ(バルサVSレアルの伝統の一戦。日本のプロ野球で言うと巨人・阪神戦)では宿敵レアル・マドリードを5-0の圧倒的強さで破り、1973・1974シーズンのリーグチャンピオンとなった。
こんなクライフは当然オランダ代表選手なんだけど、1974年のワールドカップ西ドイツ大会でまたもその名を残す。
「オレンジ旋風」(オランダのホームでのユニフォームはオレンジ色)とも称されるクライフ旋風を巻き起こす。
グループリーグを圧倒的強さで勝ち上がり、準決勝の全大会王者ブラジル戦ではいかんなくその実力を世界中に披露してみせた。
クライフの芸術的なボレーシュートでブラジルを撃破( ´ ▽ ` )ノ
決勝で西ドイツに破れはしたものの、クライフの類まれなサッカーセンスは十分に発揮された。
この年のバロンドール(世界最高のサッカー選手に送られる賞)を獲得。
名実ともに伝説のサッカー選手の一人となった。
現役引退から2年後には、アヤックス監督に就任。
バルセロナの監督にも就任し、バルセロナをヨーロッパ最強クラブへと成長させた。
これは、ロマーリオやフリスト=ストイチコフなどの一流選手を
コントロールするクライフのカリスマ性なくしては語れないところである。
その後バルセロナは「UEFAチャンピオンズカップ(リーグ)」優勝。さらに4連覇を達成。
1996年に心臓病からバルセロナ監督を辞任。
しかし、現在でもオランダサッカー界の英雄としてのクライフの存在感圧倒的なものがある。
オランダにクライフあり。そういう時代が過去のものではなく今も続いているところがクライフのスゴさだと思う。
こんな選手がいたオランダ代表が2014年ブラジルワールドカップでどんな試合を見せてくれるのか。
こういった各国の英雄伝説をきっかけに、いろんな国の代表チームにも興味を持ってくれればなぁ。
そう思っています(´▽`)
まだまだいろんな「ワールドカップネタ」をご紹介していくので、今後ともご贔屓に~(^┰^;)ゞ