[ワールドカップ連載・第4回]ストライカー英雄伝説~ジダン編~

[ワールドカップ連載・第4回]ストライカー英雄伝説~ジダン編~

ども~。つぶおです~。

着メロとか着うたって今どうなんだろ。

僕は今だかつて一度も着メロとか着うたって使ったことないけど、最近話題にならないね。

電話の呼び出し音は、聴こえやすくわかりやすい。

そして、人に聴かれても恥ずかしくないものがいいってことに気がついた人が増えたってことなのかな(゚д゚)ノ

 

さて、今回の英雄。

フランスといえばフランス人って人も多いと思うけど、意外にもフランスって多国籍な人たちが暮らす国だったりする。

在住してる日本人も意外と多いみたい。

社会保障がすごく充実していることも特徴で、フランスについて調べてみるとわかるけど、日本の年金制度が保証としてすごく薄っぺらいことに気がつくと思う。

日本以外だったらフランスに住みたいと思う人もいるかもしれない。

僕は永住権取るのが難しすぎて諦めたけどね…

 

そんなフランスが生んだ伝説のストライカーをご紹介しよう。

フランスの英雄・ジダン

「ジネディーヌ・ヤジッド・ジダン」これがこの人の本名でフルネーム。

親しい人たちには「ジズー」と呼ばれているらしい。

1972年フランス最大の港湾都市・マルセイユ生まれ。

このことは後でまた出てくるんだけど、ジダンといえばワールドカップ決勝の大舞台で、ボールじゃなくて「選手」に「頭突き」したことで知ったという人もいるかもしれないね(・_・;)

 

フランス建国以来の最高のサッカープレイヤー。それが「ジダン」。

非の打ち所がない運動能力と、類まれなサッカーセンスを持ち合わせていて、パスやシュート・ドリブル。そしてヘディング(´・ω・`)

すべての技術がずば抜けていた。相撲で言うところの「心技体」を兼ね備えていた。

ヨーロッパでは、「完璧なサッカー選手☆彡」と評する声も多い。

また、「アルフレッド・ディ・ステファノ」(アルゼンチンの元サッカー選手・現レアル・マドリード会長。日本で言うと長嶋茂雄のような人かな)の再来と言われることもある。

まさにパーフェクトプレイヤー(`・ω・´)

ジダンはアルジェリア系移民の子供として、フランス・マルセイユに生まれた。

子供の頃から体が大きく(現役時代は185cm・80kg)、サッカーの技術も周りの子供たちとは一線を画していた。

また、体が大きかったジダンは、少年なのに大人と間違えられることも多くて、試合に行くたびに身分証明書を持ち歩いていた。

ま、要するにデカくて老けてたんだね(´ε`;)

 

1988年.映画祭で有名なカンヌでプロデビューを果たす。

2年後の1990年にはすでにレギュラーポジションを獲得。

自己のレベルアップを図るために、同国フランスのサッカークラブ「ボルド」へと移籍する。

んー。ボルドーと聞くとワインが飲みたくなるねぇ( ゚ー゚)

 

そして、移籍したその初年度に自己最高となる1シーズン「10得点」を記録。

この時点でもう怪物クラス。

フランスサッカー界トップクラスのMF(ミッドフィールダー)との評価が高まる。

活躍の場が変わっても変わらぬ実力を保持するジダン

1994年にワールドカップ・アメリカ大会への出場を逃したフランスに代表招集される。

そして代表デビュー戦のフランスVSチェコ戦で2得点を記録Σ(゚д゚lll)

負け試合と諦めていた試合をジダンが引き分けに持ち込んだ。

そして、当然のことながら1996年。欧州選手権のメンバーに選出された。

 

その後ジダンは、これまた伝説の英雄「ミシェル・プラティニ」が在籍していたイタリアの名門クラブ「ユベントス」へ移籍。

活躍の場がフランスからイタリアへと変わっても、ジダンの実力はとどまる事を知らず、さらなる進化を見せた。

1998年母国フランスで開催されたワールドカップでついに世界の頂点へと登りつめる。

このフランス・ワールドカップでは、グループリーグで2試合の出場停止処分を受けたが、準々決勝のイタリア戦で復活。

フランスはイタリア・クロアチアと撃破し、ついに決勝戦。

相手はブラジル。この極度のプレッシャーがかかる試合でジダンは

コーナーキックからの強烈かつ芸術的な「ヘディング」シュートで2得点。

フランス優勝に大きすぎる貢献をした。

また、この年のバロンドール(世界最高のサッカー選手に送られる賞)。FIFA最優秀選手を受賞。チームだけでなくジダンその人も名実ともに世界一となった。

その後の欧州選手権では、フランスを世界初の「ワールドカップ→欧州選手権」連覇へと導いた。

2001年.ジダン自身が「UEFAチャンピオンズリーグタイトル」を熱望。140億ペセタもの巨額移籍金で「レアル・マドリード」へと移籍。

この話を聞くとイチローがヤンキースに移籍したことを思い出すね。二人の気持ちは同じようなものだったのだろうね。

でも、ジダンとイチローの違いは移籍後。

移籍を果たしたジダンは、その年のシーズンでいきなりチャンピオンズリーグタイトルを獲得する\(・o・)/!

 

ジダンの伝説に残るゴールはたくさんあるけど、このチャンピオンズリーグ決勝/バイヤー・レバークーゼン戦のゴールはその中でもベストとも呼べるゴール。

このジダンのゴールがレアル・マドリードのUEFAチャンピオンズリーグ優勝の決定打となった。

悲劇のグループリーグ敗退

そして2002年の日韓ワールドカップ。この名前が出てくるたびにストレス感じるなぁ(;´д`)

一節ではアジアの気候に馴染めなかったことが原因とされているが、ジダンのプレイは精彩を欠く。ジダン不調の影響は大きく、なんとなんと!!フランスはグループリーグ敗退の結果に終わる(´;ω;`)

これを機にゆっくりと時代がジダンから離れていったのかもしれない…

レアルの宿敵バルセロナには、ブラジルのスーパースター「ロナウジーニョ」が加入。

世界の注目はロナウジーニョへと移っていった。

そして、バルセロナにリーグタイトルも奪われる。

2006年のワールドカップ・ドイツ大会では、今大会を最後に引退することを宣言。

ジダン最後のワールドカップとなる。

スペインの断然有利とされた決勝トーナメント1回戦の「フランスVSスペイン戦」。

しかし、好調スペインをものともせずに撃破。

 

さらに、準々決勝では優勝候補ナンバーワン・ブラジルをも撃破。

勢いをそのままに準決勝でポルトガルも撃破。

ついに決勝戦にたどり着く。

決勝の相手はフランスにとって因縁あるイタリア。

試合序盤からフランスの波状攻撃が炸裂し、PKからジダンが得点を挙げる。

しかし、その後同点に追いつかれ試合は延長戦へ。

この延長戦の後半5分。ピッチにあの時が訪れる。

ジダンを徹底的にマークするイタリア代表「マルコ・マテラッツィ

素行の悪さで有名なマルコ。実は試合開始からジダンに対し挑発行為を繰り返していた

一節には移民であるジダンの身分差別を煽る発言。ジダンの家族を中傷する発言があったとされている。

延長後半開始から5分。執拗な挑発にジダンの堪忍袋の緒がキレる。

ついにマルコに頭突きをお見舞いする☆⌒(>。≪)

僕はこのジダンの頭突きシーンは美しく、芸術的であると思っている。

当然だが、レッドカードの一発退場。ジダン不在の影響もあり、フランスは破れワールドカップを逃す。

ジダンのサッカー人生には、賛否両論あるんだろうね。

でも、僕はジダンは最後までカッコよかったって思う。

最後の試合。最後のワールドカップが自身の行為による退場となってしまったけど、退場するジダンとワールドカップトロフィーのコントラストが美しく、感動したのを今でも覚えている。

そして、ジダンはこの頭突きについて一切の主張・言い訳をしなかった。

 

サッカー人生にどんな幕引きをしようとジダンの功績は変わらないし、これからも伝説として残されていく。

2004年のヨーロッパの歴代最優秀選手投票では、ベッケンバウアー、ヨハン・クライフを抑えてトップに輝いた。

それが全てを物語っていると思う。

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