[ワールドカップ連載・第13回]ストライカー英雄伝説 ~エトー編~
ども~。つぶおです~。
前にも日本の地上波のテレビ番組について批判したことがあるけど、続・批判。
特にバラエティーとかドキュメンタリーまがいの番組に多いんだけど、
無駄なSEが多すぎ!!!
誰もいないのに何回も何回も何回も、何回も!「エー」って入れるなよ<`~´>
SEバレバレだし、何の効果も出てない。
不愉快になるだけ。
「現代人のテレビ離れが進んでいる。」とか言うけど、原因はネットとか環境のせいだけではない。
もっと根本にある問題。「テレビがつまんない」から。そりゃ離れるでしょ。
日本のテレビ番組制作に関わっている人は学習しないのかな。
海外のテレビ番組のほうがよっぽどおもしろいよ。
いっそ海外からプロデューサーとか呼んだらどうかな。
今の日本の地上波が全部放送終了になっても、僕はぜんぜん困らない。
これについては、また今度批判しようと思う。
さて、今回の英雄。
カメルーン(共和国)は、アフリカの中央にある国。
経済規模は小さいけど、サッカーが盛んで強い国である。
2002年のワールドカップ・日韓大会の際、大分県中津江村(現・大分県日田市)をカメルーン代表チームがキャンプ地にしたことを知っている人もいるかもしれないね(´∀`)
現在でも、カメルーンと大分の交流は続いている。
カメルーンの英雄・エトー
「サミュエル・エトー・フィルス」これがこの人の本名でフルネーム。「江藤」ではない。
エトーは1981年、カメルーン最大の都市、ドゥアラに生まれる。
ドゥアラにある「カジ・スポーツアカデミー」の一期生として1年半を過ごし、16歳の時には「レアル・マドリード・カスティージャ」と契約。
契約は結んだものの、外国人であった為に、「セグンダ・ディビシオンB」(スペインのサッカーリーグ)では試合に出場できなかった。
契約したのに試合に出れないなんておかしいよね。
1998年、ワールドカップ・フランス大会に、カメルーン代表史上最年少の「17歳3ヶ月」で初登場。
(※この年、「トヨタカップ」「アフリカネイションズカップ(2000年)」「シドニー五輪」を制覇。)
クラブは、エトーのプレイヤーとしての成長を妨げないようレンタル移籍(現在所属しているチームとの契約を保持したまま、期間を定めて他のチームへ移籍する制度)に出す。
そして、「レガネス」「エスパニョール」「マジョルカ」で過ごした。
その後2000年。シーズン終了後、移籍金6億6000万円で最後に在籍した「マジョルカ」に完全移籍することになる。
2002年には、「マジョルカ」を「コパ・デル・レイ」(スペイン国王杯)優勝に導いた。
2004/05シーズンに、超名門のスター軍団「FCバルセロナ」に移籍。クラブのリーガ・エスパニョーラ(スペインのプロサッカーリーグ)優勝を経験。
2006年9月に右ひざ半月板損傷のケガで、しばらく戦列を離れる。
が、翌2007年2月には復帰し、得点を記録した。
2007/08シーズンに「ティエリ・アンリ」(フランスのエースストライカー)がバルセロナに加入、
フロントとの方針の違いから衝突を繰り返し、放出が噂されたがクラブに残留。
しかし、開幕前の親善試合で再びケガ。徐々に出場機会が減っていく。
とはいうものの、18試合に出場。16得点の決定力を見せつけた。
※エトーは2007年にスペイン国籍を取得。カメルーンのスペインの二重国籍となっている。
バルセロナにエトー、メッシ、アンリの最強布陣が完成
2008/09シーズン。監督の「ジョゼップ・グアルディオラ」から一度は戦力外通告(クビ)を受けるが、ここでもクラブに止まる。
シーズン第8節、VS「UDアルメリア」戦でバルセロナのクラブ史上最短の「23分間でのハットトリック(1人で1試合に3得点以上を決めること)を達成。
クラブ史上最短らしいけど、プロサッカー界これより早い記録があるのだろうか…。
この時のエトーの成績は「8試合9得点」「得点率1.34試合」。
バルセロナ歴代2位の記録を樹立。
バルセロナにエトー、メッシ、アンリの世界最強3トップが完成するヽ〔゚Д゚〕丿
この世界最強トリオは、シーズンを通してこれでもかとゴールを量産し続けた。
3人でリーガ・エスパニョーラだけで、シーズン合計72ゴール。
これに、スペイン国内のカップ戦、チャンピオンズリーグなどを含めると合計100ゴールというとんでもない記録を作り上げた。
エトー自身も自己最多かつリーグ2位の30得点を記録。
バルセロナの3シーズンぶりのリーグ制覇。
さらに、「チャンピオンズリーグ」+「コパ・デル・レイ」を制覇。
このスペイン勢史上初の3冠達成に大きく大きく貢献した。
2009年、「ズラタン・イブラヒモビッチ」(スウェーデン出身の「天才」ストライカー)とのトレードでバルセロナから移籍することになる。
移籍条件は、エトー+移籍金4600万ユーロ(現在の価値で約65億円)
5年契約で「インテル」へ移籍。
インテルのスーパーストライカー「ディエゴ・ミリート」との2トップを組み
この2トップの活躍もあり、インテルは
- セリエA(イタリアのプロサッカーリーグ)
- コッパ・イタリア(イタリアのサッカークラブによって争われるカップ戦)
- チャンピオンズリーグ(クラブチームによるサッカーのヨーロッパ大陸選手権)
の3つを制覇。
エトー自身は、史上初の2シーズン連続三冠選手となった。
翌2010/11シーズン。エトーの快進撃は続く。
チャンピオンズリーグではグループリーグ6戦で1位となる「7得点」を記録。
セリエAでも得点ランクトップを争っていたが、11月のVSキエーヴォ戦で相手選手に頭突き(ジダンより後)。
出場停止処分を受けた。
2010年.「FIFAクラブワールドカップ2010」でも活躍、ゴールデンボール(大会MVP・最優秀選手)を獲得した。
この年の12月にはクラブでの活躍が評価され、自身4度目となる「アフリカ年間最優秀選手賞」を受賞。
このシーズンでの総得点は「37得点」、200/09(バルセロナ)シーズンに記録した自己記録を更新した。
2011年、ロシアのダゲスタン共和国に本拠地を置くクラブ「FCアンジ・マハチカラ」に移籍(3年契約)。
その移籍金は非公表とされている(移籍金2700万ユーロ(約37億円)、年俸は2000万ユーロ(約28億円)とのウワサ)。
2013年、「FCアンジ・マハチカラ」の経営規模縮小の方針から、主力選手の大半が放出されることになった。
古巣インテルなどがエトー獲得に動いたが、イングランドのクラブ「チェルシーFC」に移籍(1年契約)。
2014年1月20日、VSマンチェスター・ユナイテッド戦でハットトリックを達成した。
トラブルメーカーだが、心優しき英雄ということを忘れないで欲しい
エトーは一流のストライカーであることは間違いないが、ピッチの外では、トラブルメーカーとの評価もある。
しかし、ピッチを離れたプライベートのことは、サッカーファンとエトーファンにはあまり関係のないこと。
自己主張が強いことがトラブルになっていることも多いと思うけど、それぐらい強靭なメンタルを持っていないと、こんな素晴らしい記録を打ち立てることはできないのかもしれない。
エトーの豹のような瞬発力と状況判断力、そして決定力。
身体能力の高いアフリカの選手の中でも群を抜いてすごい。
世界でトップクラスのスーパーストライカーであることは間違いない。
最後に、トラブルメーカーと評されるエトー。
その影でエトーは、生まれ育った故郷「ヌコン」に自ら巨額の私財を投じ、サッカーを通じてたくさんの地元の人たちの生活レベル向上に大きく貢献していることも知っておいてほしい。