[ワールドカップ連載・第12回]ストライカー英雄伝説 ~フォルラン編~
ども~。つぶおです~。
質問した人に、「僕(私)ですか?」って聞き返す人がすごく増えてきたように思うけど、あれはなんなの!?
明らかにその人に向けて質問しているのに…
例えば、
質問者:「○○さんは、どちらからいらっしゃったんですか?」
○○さん:「僕ですか?」「僕は…」
うん。あんただよ。名指しで質問してるんだから、あんたに決まってるだろう。
こういうのってすごく無駄な感じがしてイライラするなぁ。
二人しかいない場合にもこんなやり取りがあるからまったくイヤになる。(##゚Д゚)
さて、今回から少し新しい世代の英雄をご紹介してみようと思う。
中には現役選手もいたりするけど、これから伝説の英雄となっていくであろう選手も含めている。
南米のウルグアイから英雄をご紹介したい。
南米でサッカーといえばブラジル・アルゼンチンのイメージが強いかもしれないけど、
ウルグアイはサッカーの強豪国だし、素晴らしい選手もたくさんいるのだ。
また、ウルグアイは記念すべき第1回ワールドカップ開催国であり、優勝国でもある。
ウルグアイの英雄・フォルラン
「ディエゴ・マルティン・フォルラン・コラソ」(長いけど)これがこの人の本名でフルネーム。
1979年.フォルランはウルグアイ・モンテビデオに生まれる。
母方の祖父にウルグアイ代表監督(1962年のワールドカップ・チリ大会)を持ち、実父のパブロはウルグアイ代表として1974年のワールドカップ・西ドイツに出除した選手である。
少年時代のフォルランは、サッカーだけでなく、テニスの才能も発揮していた。
確かに見た目はテニス選手っぽくもあるな。
また、名門高校に通う成績優秀な少年でもあった。語学に堪能で、母国語のスペイン語を含む5カ国語(フランス・ポルトガル・イタリア・英語)を話すことができる。
今は日本語も少し話せるのかもしれないね(´∀`)
フォルラン12歳の時、姉が交通事故に遭ってしまう。事故で下半身の自由を失ってしまった姉の治療費は高額で、フォルランの家族にとって大きな負担となっていた。
奇しくも、この姉の不幸な事故が後のスーパーストライカー・フォルラン誕生のきっかけとなる。
1994年.15歳の時。姉のためにフォルランは大きな決断をする。
父・パブロと1年間の約束を交わし、地元ウルグアイのクラブ「ペニャロール」(かつてパブロが所属していたクラブ)と契約。
そこで、フォルラン。大きな結果を残す。
フォルランはウルグアイ中の注目を浴びることになった。
フォルランの本格的プロサッカーキャリアのスタートである。
そして、2000年。隣国アルゼンチンの「クラブ・アトレティコ・インデペンディエンテ」に移籍し、2001年のカップ戦にも出場。23ゴールを記録した。