いじめ加害者は本当に最低の心理の持ち主?いじめのきっかけは些細なことです

いじめ加害者は本当に最低の心理の持ち主?いじめのきっかけは些細なことです

いじめをする人は最低です。

確かにその通りなんですが、果たしていじめをする人だけが悪いんでしょうか?

人に対して攻撃することは悪いことですが、逆に言われても仕方のない人もいますよね。

今回はいじめ加害者になるのはどういった心理になるのかを探っていきたいと思います。

いじめのきっかけはなんだろう?

いじめのきっかけというのは本当に些細なところから始まります。

例えばマラソン大会で転んでしまって、「あいつとろいよなー」なんて些細な悪口から始まり、あなたのことを嫌っている人間同士が結託し、話しかけても無視したり…といったいじめが始まるんですよね。

とくにきついのが、昨日まで普通に話していた友人たちが次の日になった途端に話しかけても全く反応してくれない状態です。

いじめをする人は、無視をされているあなたの反応を楽しんでいるんですよね。最初のいじめとして殴る蹴る的な暴力はほとんどないんじゃないでしょうか?

段階的に無視して反応を楽しんで、まったく反応しなくなったら段階的に体を傷つけたり、モノを隠したり盗んだりしています。

末期になると学校にこさせたくないという目的に変わり、影でやっていたことをみんながいる教室でやり始めたりしますよね。

進学校ではあまりそういったいじめは見られませんが、偏差値が低い学校ほどそういった光景が見れたりします。

知能が高いほどいじめは直接的にやりません。自分がいじめの首謀者だとバレてしまうと内申書が困りますからね。

しかし、偏差値の低いところの学校は自分がどんな内申点をつけられようとあまり気にしない学生が多く、いじめしている自分がかっこいいと錯覚しているんですよ。

誰も自分には逆らえないというのがいじめっ子にとって一番の快感です。

人によっていじめのきっかけは様々あるので、一概にこれが原因というのは突き止めにくくなりますが、始まりはいつも無視から始まりますので、自分に対してそういうことが始まったら気をつけたほうがいいでしょう。

いじめには加害者、被害者両方になりえる

いじめというのは表裏一体なもので、いじめられっ子だった人が学校が変わってからいじめっ子になった、というのもよく聞く話です。

いじめられっ子がいじめっ子になってしまうのは、自分がいじめられたくないからなんですよね。

いじめをすればいじめられないという負のスパイラルに陥ってしまい、全員が不幸になってしまいます。

自分はいじめに加担していない!と思っていても、いじめされているのを見過ごしているのはいじめをしているのと同意義になるんですよね。

自分がいじめられたくないから助けずに無視をしてしまっているからです。

人間、一番可愛いのは自分自身です。

わざわざ自分がいじめられてもいいから相手を助けるなんて人、この世の中にどれだけいるでしょう?

ちなみに芸能人でいじめの両方を経験した人がいます。

お笑い芸人の大島美幸さん。

中学生時代は壮絶ないじめを経験し、現在では舞台化もされていますが、小学生時代は自らいじめをしていたというから驚きですね。

自分がしてきたことを中学生時代に返ってきた自業自得な話ですが、いじめをしていたなんてイメージが悪くなるだけです。

いじめをされたからこそいじめられることの辛さがわかったようですが、大島美幸さんにいじめられていた人はテレビに出ている大島美幸さんに対してどう思うんでしょうね。

いじめに立ち向かう勇気

いじめというのは、一人がやりだすと面白がってみんなやりたがってしまうものです。

とくに集団VS個人はいじめにはよくある構図じゃないでしょうか。

逆にだれもいじめをしなければ興味を持たないんです。

いじめをするよりもみんなで遊んだほうが楽しいと思っていたほうが心の健康になりますよね!

しかし、いじめをする人というのはいつ自分がいじめられるかわからない、いじめられるくらいなら自分がいじめるという性格になりがちです。

友人がいじめられていたら「止めて」と言える勇気がほしいところですね。

しかし、現実は次の日から自分もいじめられていたり、いじめられていた子がいじめっ子と一緒になっていじめてくることもあります。

そうなると口出さなきゃよかったと後悔してしまいますよね。

逆に考えてその子がいじめられなくなってよかったと考えられます。

しかし、自分がいじめられるのは納得がいきませんよね。

いじめには屈しない精神力

人からいじめられるのはかなりストレスが溜まるものです。

とくにいじめが発生するのは自分の方が強い立場にいると思っている人がやるんですよね。

要するに自分は相手から下に見られているということです。

福沢諭吉先生がいっていますが、

「天は人の上に人を作らず、天は人の下に人を作らず」

この言葉は人間は生まれながらにして平等だということをいっているのです。

いじめをする人間は自分よりも劣っていると思う人間にしかいじめをしてきません。

なので、暴論ではありますが「いじめをしてきた人間を逆に見下して」やりましょう!

「あの人達はいじめなんてしょーもないことでしか自分を主張できないかわいそうな人達なんだ」と、こういう具合に。

「こんな風に考えるのはおかしい!」と感じる人もいるかもしれませんが、いじめられる本人が精神的に潰れるよりも全然マシというもの。これくらいタフな考え方のほうが強く生きていけます。

いじめることでしか自己主張できていませんし、どこか妬ましいところがあるからいじめをしているのかもしれません。

弱ったところを見せるとつけ込まれるので、やられたらやり返すのも手ですが、無視しましょう!

いじめをする人間なんてくだらない理由でいじめてくることが多いですから。

それこそ、あなたの困った顔が見てみたいとか、泣いている姿を見たい、なんて程度の低いことしか考えていないのです。

まとめ:いじめは自分が加害者・被害者にもなりえる!

いかがでしたでしょうか?

人間には様々な人格を持って社会を形成しています。

どこか劣っている部分を見つけるといじめたくなりますし、逆に見つけてしまったらついからかいたくなります。

どちらの立場も自分が傾いてしまう可能性があるので、人を下に見るようなことはせず、平等に見れるようにしましょう。

この記事があなたの役に立ってくれる事を祈っています。

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