我が子も偉人に!?偉人の母から学ぶ子育ての流儀
野口英世やエジソンと聞いて知らない人はいない、偉大な人たち。
そんな偉人の母の子育てってどんな感じだったか、とても興味深い話だと思いませんか?
我が子には少しでも賢い子になってほしいと母なら願うものですよね。
偉人の母たちはまさか我が子が偉人になるとは思ってなかったと思います。
ぜひ知りたい!見習いたい!そんな偉人の母の子育てについてご紹介します。
目次
ナンシーの子育て エジソンの母の見抜く力とは
エジソンといえば発明王として誰もがその名前を知っています。
まさかそんな有名な人になろうとは、小さい頃のエジソンからは誰も想像つかなかったという話です。
そんなエジソンの理解者だったのはもちろんエジソンの母、ナンシーです。
まさかの退学?!エジソンは小学校も通えなかった
エジソンはなんとたった3か月で小学校を中退しています。
入学早々授業中、頻繁に問題を起こしていたエジソン。
授業とは別のことに興味があったエジソンは先生に対して関係ない話で質問攻めにし、肝心の授業が全然進まないどころか、ほかの生徒の邪魔になりました。
学校では有名な問題児となったエジソンはとうとう3か月後に校長先生から退学を勧められてしまいました。
普通なら小学校中退など考えられませんが、それを快諾したのがエジソンの母、ナンシーです。
誰よりもエジソンを理解した慈愛のナンシーの子育てとは
ナンシーはかなり早い段階で息子がほかのことは違う、それどころかほかの子にない息子の才能に気づいていました。
特に発明という特技は素晴らしいと考え、息子の優れている部分に目を付けました。
そしてその才能を磨くのは小学校ではないと即座に中退を決断し、自宅で好きなだけ発明に打ち込める環境を用意しました。
基礎勉強は先生に代わり、母が全部エジソンに教えたのです。
ナンシーに学ぶ 子供の才能の伸ばし方
一般的には「小学校はいきなさい」ということでしょう。
空想ばかりにふける息子をまさか許し、学校に行かせることなくその発明に打ち込ませるなんていう大胆なことはなかなかできませんよね。
なかなかナンシーのようにはいかないと思いますが、子供の才能を親が見つけて、その伸ばす環境を作ってあげることの大切さが分かります。
子供の好きなことを子供が安心して打ち込む、それを見守る母は、本当に偉大ですね。
アンネの子育て アンデルセンの母、自己肯定と信じる心とは
アンデルセン童話は人魚姫、裸の王様などたくさんの人々に愛される童話です。
そんなアンデルセン童話の有名な作品の一つ「マッチ売りの少女」はまさにアンデルセンの母、アンネの幼少時代を基にしたといわれています。
そんなマッチ売りの少女の話は、アンデルセンの名前に劣らず誰でも知っている作品の一つですね。
アンデルセンの母 アンネの生い立ち
アンネは貧乏な家に育ち、マッチ売りの少女のように物乞いをした経験もあるといいます。
貧しいせいでまともな教育が受けられなかったアンネは文字の読み書きもできませんでしたが、優しく愛情にあふれた性格に育ちました。
優しい母、アンネから学ぶ子育て法とは
そんなアンネが母となり、子のアンデルセンに対してはとにかく溺愛をしたようです。
そんな息子は周りから見ると一風変わった子でしたが、母は息子の才能をとにかく信じました。
そんな母のモットーは「したくないことは無理にはさせない」。
息子のしたいことが最優先、とにかく息子を肯定し続けました。
好奇心の赴くままに行動することができたアンデルセンは靴職人の父が亡くなった時に決断をします。
学校を中退し、15歳でオペラ歌手を目指すも挫折。
バレエ学校に在籍しても長続きせずで、とにかく自分の空想の世界にばかり閉じこもる日々でした。
それでも自分のやりたいことを追い求め続けて詩人となり、アンデルセン童話を生み出すようになったのです。
アンネのように子供の能力を開花させるためには、とにかく支え続ける母の温かい見守りと励まし、そして信じる心が必要だったのです。
どんなに失敗しても支える母の献身的な励ましは、ぜひ見習いたい子育ての一つですね。
子供を最後まで信じてあげられるのは、親なのです。そしてその信じる心こそ、子供の最後の希望なのです。
シカの子育て 野口英世の母の努力と感謝の気持ちとは
多くの人の命を救い、世界のノグチともいわれ日本のお札にもなった野口英世。
野口英世のエピソードで一番有名な左手のやけどは、彼の運命の日になったともいえる話です。
シカの後悔 母が支える献身的な態度や言葉
英世が1歳半の時、囲炉裏の中に左手を入れてしまい十分な手当てができなかったため、障害が残ってしまいました。
母のシカは自分がちゃんと見ていなかったからと自分を責め、悔いて将来息子は、障害のせいで畑仕事ができないだろうと思いました。
それならせめて勉強をさせてやろうと、母は懸命に働きました。
その母の背中を見ながら学問にはげんだ英世でしたが、学校では手のことでいじめられて辛い日々を過ごします。
あまりにもそのいじめが辛くて学校に行かれなかったのですが、母は怒るどころか泣いて謝り
「やけどは母のせいで本当に申し訳ない。だけどここで勉強を辞めてしまったら、せっかくの苦労が報われないので何とか我慢して頑張ってほしい」と諭したのです。
その母の言葉に英世の心は揺さぶられ、必死に勉強することができました。
自分の非を認めた母シカから学ぶ子育て法とは
やけどをさせてしまったからもう駄目だとあきらめることなく、命があるだけ「ありがたい」と感謝の気持ちをいつも持ち続けた母。
自分にできる精いっぱいの努力をし続けた母の背中を英世は見て育ったのですね。
そしてそんな母に応えるように、立派な人となったのです。
何事もあきらめず、できることを精いっぱいこなし、感謝と努力を忘れないということは子供だけでなく、親も持ち続けなければいけないということですね。
子供が憧れるような、そんな背中をいつも向けていたいですね。
シンシアの子育て レディーガガの母の個性を最大限にひき出すパワーとは
偉人?ではないかもしれませんがレディーガガは世界で活躍するスーパースターとして知らない人はいないはずです。
そんな素晴らしい歌唱力と奇抜なパフォーマンスが有名なガガ。ガガのファッションは彼女の母、シンシアの影響が絶大ということなのです。
シンシアの破天荒な育児 破天荒な娘の成長
ガガの母のシンシアはマリリンモンローやマドンナを意識したファッションにこだわる女性でした。
そんな母ですから、とにかく普通では考えられないような破天荒な育児だったというのです。
外食をしているとき、幼いガガは歌いながら店内で大はしゃぎ!
普通の親なら当然叱るところですが、シンシアは、
「よくできました!自分の意思をしっかり持っているね」と褒めたというのです。
ピアノレッスンの時もガガは立ったりふざけたりしていましたが、母は否定することなく褒め続けました。
そしてピアノを始めて1年でメキメキと上達し、クラシックの名曲も楽譜なしで聴いただけで弾きこなすほどになったというのです。
進学しても奇抜なファッションを貫き通したガガは先生に叱られるのですが、退学にはなりませんでした。
なぜなら成績は常にトップ!学校内のレベルでは群を抜いていたのです。
ところが個性的で奇抜なガガだったので、学校ではいじめにもあいました。
母親に心配をかけたくない一心で隠しましたが、シンシアは娘のちょっとしたおかしな様子に気づきました。
「辛いことがあるのね。でもあなたには人と違う特別なものがある。だから貫き通す強い意志を持ちなさい」と励まし、応援しました。
シンシアは個性を大事にすると決めた時から、娘がいじめられると予測していたのです。
大学も飛び級で進学、芸能学部で劇や歌をするも退学。
マドンナのようなスターを目指して活動するも、なかなか芽が出ませんでした。
挫折しかけた時も母は娘の才能を信じ、その才能を自分自身が信じるようにと叱咤激励しました。
そして見事、今の姿があるのです。
とにかく個性を貫くシンシアに学ぶ子育て法とは
シンシアのように人とは違う目立った個性を貫くことは、協調性が求められる日本では難しいかもしれません。
子供がいじめられるかもしれないということまで見抜きながらも、子供の才能を信じる信念を持つなんて、なかなかできないですよね。
それでも子供を信じ抜く力はぜひとも見習いたいものですね。
まとめ
偉人の母の子育て、とても偉大でしたね。
どの母親にも共通するのが我が子を信じる力、そして一貫した信念。
我が子の才能を見抜き、最後まで応援する姿勢。
どれも言うのは簡単ですが、なかなかできることではないですよね。
我が子が新しいことに挑戦するとき、否定することなくそっと見守りながら応援する。
いつでもママはあなたの味方だよ、という気持ちが伝わったら子供も安心してのびやかに進めるのだと思います。
頑張る子供と寄り添い励まし応援する、そんな素敵な親でありたいですね。