萩本欽一ついに引退!「タモリ嫌い」といいとも出演時に言い放った真意と宝くじ7億当選について!
萩本欽一さんといえば一時代を築いたコメディアンです。
その萩本欽一さんが今回の舞台「ほめんなほれんなとめんな」に出演後に
引退することを宣言しました。
まだまだ現役でもいいように思うのですがなぜこのタイミングだったのでしょうか?
いいともに出演したとき、タモリさんが嫌いだったというのは?
ー プロフィール
名前 萩本欽一
生年月日 1941年5月7日
血液型 A型
趣味 野球
ー いいともに出演してまさかのタモリさん嫌い発言!
2月14日、世間ではバレンタインデーでしたがいいとものテレビショッキングのゲストは萩本欽一さんでした。
最初はどうもどうも。と丁寧な握手から始まり、昔話から始まったのです。
身を乗り出さんばかりに興奮した様子でタモリさんが自宅に来た時のお話をし始めたわけですが、
萩本さんは自宅で仕事の打ち合わせをしていました。
真剣な話をしていた時に不意にインターフォンがなったのです。
萩本さんは気にせず打ち合わせを続けていましたが、インターフォンにでた方が
「タモリだ!タモリさんだ!」と興奮。
萩本さんは「まずいやつがきた」と思っていたそうですが、スタッフは気にせずタモリさんを部屋にあげたのです。
さすがに追い返すわけにもいかないし、いらっしゃいと迎え入れたのが間違いでしたw
タモリさん的に30分程度で帰ろうと思っていたし、萩本さんもそれくらいで帰るだろうと思っていたのですが、
それから延々とタモリさんの十八番であるイグアナのモノマネや4ヶ麻雀などをやり続け、
訪問した時間が夜の11時頃で帰っていったのは、朝の7時になっていたんだとか。
寝不足にはなるし、打ち合わせは全然できなくて、タモリさんが帰ったあとも居合わせた構成作家の方々は
「タモリっておもしろいなー」とそういった話ばかりで終わったのです。
その日の仕事は散々で、それ以来「いいとも」の出演依頼が来ても断っていたそう。
やはりタモリさんが嫌いだからだったからのでしょうか?
その答えは『NO』です。
「僕が好きだよって言っちゃうと面白くないでしょ?だから毒づいて嫌いっていったんだよ」
と話していました。
コメディアンとしてこんなに俺を笑わせるなんてという思いもあってすごいやつだと感心していたそうです。
じゃあなぜいいともには出演しなかったのか?
何度かテレフォンショッキングの方で出演依頼が来ていたのですが、断っていた理由はお友達紹介コーナーがあったからだそうです。
欽ちゃんといえば見栄晴さんと仲がいいイメージですが、彼的に見栄晴は…という気持ちだったんだとか。
何となく欽ちゃんらしいエピソードですよね。
最近では彼の活躍を知らない人の方が多くなってきました。
それで老害だとか面白くないとか言われていますが、言葉の運び方とかが上手いと思います。
かなり長い間芸能人とトークを繰り広げていたタモリさんですら緊張していたようでしたが、心地よい感じのトークでしたよ。
ー 欽ちゃんから学ぶ芸人たち。
かつて、萩本さんは『視聴率100%男』と異名を取っていました。
コント55号で坂上二郎さんと一度だけの契約でコンビを組み、1966年に二人は結成しました。
二人の相性がよかったようで瞬く間に人気者になっていったのです。
70年代後半になると、個々で活動することが多くなりコンビとしてはあまりテレビに出ることは少なくなっていました。
萩本さんは司会業に移行していき、今でいう「素人いじり」がうまく視聴者の心を鷲掴みに。
後にコメディアンとして初のゴールデン番組を持つことになったのです。
人気は凄まじく、上記のように呼ばれていたたために、番組が終わっていくと寂しさを覚えたもの。
今でこそピンマイクを使うのは普通になっていますが、昔は性能も悪くかなりでかいものでした。
そこは欽ちゃん流に「出来ないから使う」精神で、使っているうちにいい方向に向かっていく信念を貫いていたのです。
事実、今のピンマイクはかなり高性能になり、この時萩本さんが使っていなければここまで開発もされなかったでしょう。
そんな萩原さんの背中を見て育ってきた人たち。
とんねるずの石橋貴明さんはことあることに萩原さんの番組に関わったディレクターを捕まえて萩原さんがどんな番組作りを
しているのか聞き回っていたんだとか。
若かりし頃の志村けんさんも萩原さんの使った台本を取りに行って熱心に勉強していたそうです。
今の芸人さんたちはそういう必死さがないですよね。
何となく淡々とこなして一定のリアクションをとって…の繰り返しで先のことを考えていなさそうです。
中には努力している芸人さんもたくさんいるとは思いますけどね。
ー 3月の舞台で引退発表、そして宝くじ7億円の当選?!
ネットで萩原さんが7億円の宝くじに当選したと話題になっています。
しかし、事の真相は組番が違うだけの同じ番号だったんだとか。
というわけで当選したのは10万円で7億円はパーになってしまったのです。
舞台「ほめんな ほれんな とめんな」で引退宣言をされました。
まだまだ現役でもいけそうなのですが、やはり体力的な問題もあります。
萩本さん自身も「売れなくなったから引退するって言われたくないじゃない、できなくなったから引退するの」と話されていました。
実際、舞台に上がって稽古をしたり、走り回ったりすると息切れするといいます。
そりゃすでに70を超えてるんですからそうなってもおかしくないんですよね。
デビューしてから50周年という節目でもありますし、のんびりと過ごしてほしいです。