[ワールドカップ連載・第6回]ストライカー英雄伝説~キング・カズ編~
ども~。つぶおです~。
エレベーター(とか電車)に乗る時のルールをみなさんはご存知だろうか?
「降りる人が先!」←コレ
これを知らないのか、わかってないのか、わざとやってるのかは知らないけど、
それにしても、まぁーーー!!!降りる人を無視してガンガン乗ってくる輩の多いこと多いこと。
まぁまぁ年配の人の中にもこういうのがいるから呆れるばかり(゜д゜)
人として恥ずかしいから気を付けようねヽ(´▽`)/
さて、今回の英雄。
そろそろ我が國・日本サッカー界の英雄をご紹介しないといけないね。
Jリーグ発足から10年以上が経ち、近年ではワールドカップの常連となりつつある日本だけど、日本サッカー界には氷河期とも呼べる時代があった。日本は弱かった(´Д`;)
そんな時代から、日本サッカーを世界に通用するものにしようと、ひたすら努力を重ねてきたのが
キングこと、カズこと「三浦知良(みうらカズよし)」
この人の功績はここでは書ききれないほど大きなものだけど、
そのキング伝説の一部をご紹介しよう。
日本の英雄・三浦知良
三浦知良(以下「カズ」)は1967年2月26日生まれ。そろそろ47歳の誕生日だね(^▽^)。
日本のサッカー王国・静岡県の出身。お茶がおいしい( ゚v^ )
静岡県に生まれなかったらカズの人生は変わっていたかもしれないし、日本のサッカーも変わっていたと思う。
いろんな世界にパイオニア(先駆者・開拓者)と呼ばれる人がいるけど、カズは紛れもなく日本サッカー界に最も大きな影響を与えたパイオニアである。
高校時代の時点でカズは何かを超越しているヽ(*´∀`)ノ
静岡学園という高校に入学したカズ。
それをなんと僅か8ヶ月で中退。今も昔もサッカー王国「ブラジル」にサッカー留学を決意、実行する工エエェェ(´д`)ェェエエ工
サッカー留学といっても両親がついて行ってなんの心配もないとかではなくて、何一つ保証もなく「単身」ブラジルへ旅立ったところがカズのすごいところ。
先行きのまったく見えない状況で、こんな離れ技はなかなか真似できることではない。
当時(1981年)は今よりも人種差別や偏見といったものが蔓延っていて、カズはブラジルのチーム内外で「日本人」差別や嫌がらせを日常的に受けることになる。
しかし、単身でブラジルに渡ったカズの決意は、その程度のことで音を上げるほどのヤワなものではなかった。
ここでいじめられて帰国するような人なら初めから行ってないよね(^_^;)
カズは誰にでもすごく優しい人だけど、こんな経験が今のカズを作ったのかもしれない。
留学5年でサントスとプロ契約!そして伝説へ…
たくさんの弊害に屈することなく、強靭な精神力とサッカーへの熱い情熱で留学から5年、1986年にはクラブ「サントス」とプロ契約を結ぶ。
もうね、この時点ですでに伝説の域に達してる\(・o・)/!
ちなみに、このクラブはサッカーの神様ペレが在籍したこともある名門クラブなのだ。
左ウイング(左の最前線ポジション)を任され、チームに貢献。
同じ年の秋にはレンタル移籍(所属しているチームとの契約を保持したまま、一定の期間他のチームへ移籍する制度。移籍金が発生しない代わりに、チーム間でレンタル料のやり取りがある。)
したクラブ「ソシエダージ・エスポルチーバ・マツバラ」でリーグ優勝にも貢献。
その4年後の1990年、日本のワールドカップ出場の夢を胸に帰国(。・Д・。)ノ
「読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)」と契約。
プロサッカープレイヤー・カズの日本でのサッカー人生が始まる。
読売入団直後のカズはそんなに大したことないという印象だった。
しかし、これはブラジルと日本のサッカーの違い。レベルの違いにあると僕は思っている。
鳴り物入りで来日した一流のメジャーリーガーが、日本の野球界で契約金だけボッタくってぜんぜん活躍できないでしょんぼり帰っていくのに近い。
当時の日本とプラジル。同じ「サッカー」でも別物だったのだ。
だんだんと日本のサッカーに慣れてきたカズ。
1992年、Jリーグカップではヴェルディの優勝に大きく貢献(大会MVP(最優秀選手)はカズ)。
1993年には「アジア年間最優秀選手」に選出。
これまでのサッカー人生の中での絶頂期を迎えたカズだった(^o^)ノ
ドーハの悲劇により、ワールド・カップ出場逃すことに
しかし、この年の10月28日にカタール・ドーハで行われたワールドカップ・アメリカ大会の地区予選。カズのサッカー人生、絶頂期にして最大の悲劇が起こる(´;ω;`)
「ドーハの悲劇」と呼ばれることが多いんだけど、知っている人も多いでしょ?
この予選で、カズは日本のエースストライカーとして4得点の活躍。
さらに得点王にも輝く。
それなのに悲劇は容赦なく襲ってきた。
この日の日本代表の相手は「イラク」。
日本リードのまま迎えたロスタイム(公平性を期すために、選手の手当などで試合が止まった分の時間を延長してプレイする時間)。
ほぼ手中にしていた、カズの、日本の夢「ワールドカップ出場」。
それがイラクの同点ゴールによって打ち砕かれた。
この試合、特にこの同点ゴールについてはいろんな意見があるけど、趣旨が違うのでここでは多くを語らない。
しかし、カズを含めた日本の選手たちが、勝利を確信して試合のツメが甘かったとか、気を抜いていたわけではないことはここで言っておきたい。
ワールドカップ出場を逃したカズの気持ちは想像にあまりあるものがあるけど、いつまでもウジウジ゚(゚´Д`゚)゚していないのがキング・カズである。
気持ちを切り替えて、プロサッカープレイやーとして、Jリーグに打ち込む。
悲劇の翌年、1994年にはアジア人初のセリエA(イタリアのプロサッカーリーグ。過去に中田英寿・中村俊輔。現在は本田圭佑・長友佑都などが所属)プレイヤーとなる。
クラブ「ジェノア」に入団。試合での得点は1得点に終わったが、21試合に出場。
このイタリアでの成績は問題ではない。
現在ではイタリアのプロリーグで活躍する日本人はたくさんいるけど、イタリアでの日本人選手に対する壁を、低く薄くしたのはカズの功績の一つだと思う。
※ちなみに、アメリカ・メジャーリーグでは野茂英雄の功績が大きい。野茂は地味だけど、すごいんだよ。
生きる伝説、キング・カズ
40代後半となった今も現役の選手として活躍するカズは、まさに「生きる伝説」。
サッカーの選手寿命はそんなに長くはなくて、20代でピークを迎え、30歳前後で引退する選手が多い。これを考えるとそのすごさがわかる。
あー、もう締めないとスペースがなくなってきた。
カズについてはまだ言いたいことがたくさんあったのにー(´Д⊂
また機会があれば…
ワールドカップ本戦出場というカズの夢は叶わなかったし、今後もないと思う。
でも、カズはサッカー界にいるだけで価値のある存在。
いるだけで安心できる人っていうのがみなさんの周りにもいるんじゃないかな。
ワールドカップに変な選手連れて行くぐらいなら、カズにいてもらえってんだ(○`ε´○)
テレビなんかでカズを見ると、髪の毛の多さにいつも笑ってしまいそうになるけど、やっぱりキングだなぁといつも思う。
それにしても、(パッとしない女優だった)嫁のりさ子は男を見る目だけはあるよねぇ。
最後にちょっと想像してみて。
あなたが高校入学したての16歳の時に本気で宇宙飛行士になりたいと思ったとしよう。
家族や友人との生活を全て捨てて、熱い情熱と決意を持って単身ヒューストンに乗り込む勇気があるだろうか。
本気度っていうのがあるとするなら、こういうところに現れるんだろう。
ぬくぬくとホームステイするのとはわけが違う。
とにかく、やっぱり、カズはすごい。
今回はこれで締めよう( ´ ▽ ` )ノ