あなたが知っておくべき刑務所の話「受刑生活編」
人口の90%以上の人が体験したことがない世界。知る人ぞ知る世界。それが刑務所である。
今回は受刑者たちの一日とはどんなものなのか?そこを見ていこう。
前回の記事を見ていない、という方は以下から読んでおいてもらいたい。
さあ、それでは今回も僕「つぶお」受刑者の目線から、刑務所のいろはについてご紹介していこう。
受刑者の一日
受刑者の一日は一般的にはこのように決められている。
(※平日は一日に30分間「運動」の時間がある。運動場所と時間帯については工場によってまちまちである。)
(※入浴がある日は作業を中断して入浴することになる。入浴場所と時間帯については工場によってまちまちである。)(夏季は週3回、冬季は週2回)
これは予定であるが、ある意味では予定ではない。
(天災や火災などがない限り)「絶対に」この通り一日が進んでいく。例外などない。
<起床>
起床とはいうものの、一般の人が考える起床とは違い、「強制的に起こされる・絶対に起きろ」という意味である。
そして、起きたら点検までの約20分の間に洗面・歯みがき・監房内の清掃を行う。
簡単そうに感じるかもしれないが、8人が同じ空間で生活しているため単純計算で一人あたり2.5分間しかないことになる。
水道の蛇口は3つ。トイレは一つ。その中で清掃もしないといけないのである。
飛び起きて布団を上げ、我先にとトイレの順番を争い、その傍らで蛇口の争奪戦が繰り広げられる。
ボ~っとしている余裕なんてない。
そのあわただしさは想像してみればわかってもらえると思う。
そして、この混乱の中で、仲悪い同士が朝一からケンカすることもある。
ある日こんなことがあった。
ドアを開けるなり取っ組み合いの大乱闘。
もともと中の悪い二人であったことが一番の原因だが、24時間同じ人間と過ごすというのは想像を絶するストレスとの戦いである。
この時、同室の一同は思った。「来るべき時が来たな。」「これで二人の緊張感から解き放たれる、はぁよかった。」と。
この場合どうなるかというと、どっちが悪いとか関係なく二人とも連行され「取り調べ」→「懲罰」の流れである。
そして、この当事者二人は二度と顔を合わせることはない。
掃除なんてしなくてもいいじゃないか。
洗顔や歯みがきは個人の自由じゃないか。
そう思った人もいるかもしれない。
しかし、ここは刑務所。クセモノが共同生活を行う場である。そうはいかない。
まず、受刑生活が長ければ長い人ほど、異常に神経質(良く言えばキレイ好き)になっている。自分はいいからと洗面や歯みがき、清掃をサボろうもんなら「衛生環境を乱すヨゴレ」のレッテルが貼られ、それ以後の受刑生活は肩身の狭い悲惨な毎日となる。
刑務所は朝から大騒ぎなのである。
<点検>
点呼と言った方がわかりやすいと思うが、一番の目的は逃げたり隠れたりしている不届き者がいないか確かめることである。
起床からバタバタと準備を終わらせたら、全員が通路に向かって一列か二列になってビシっと座る。
そこに刑務官+(管理職の)お偉いさん刑務官が登場。
姿勢が悪かったり声が小さければやり直し、やり直しが続くようなら懲罰の可能性もある。
朝からしっかり軍隊式である。
<朝食>
前日の夕食から12時間以上が経っており、ほとんどの受刑者は空腹マックス状態である。この朝食で極楽気分を味わえる。
食事の準備は「配食係」と呼ばれる受刑者が行い、それぞれの監房に食事が配られる。
朝は基本的に「ごはん(麦70%以上の古い米)・漬物・おかず(納豆・のりなど)・味噌汁」である。
食事中の私語は一切禁止。食べ物のやり取りは禁止、食べたくないからと人にあげたり食べたいからと人から奪ったりすれば即懲罰である。
また、正当な理由がなく大量に残すと調査が入り、懲罰の可能性もある。
食事はできるだけ同じ条件になるようにしてあるが、そっちのほうが具が多いだとか、俺のごはんが少ないだとか、そういった理由から争いになることもある。
しょーもな!と思うかもしれないが、受刑者にとって一番の楽しみは食事である。こんな「大人げない」ことが起こる可能性は常にあるのだ。
そして、食事中は準備と後かたずけをする配食係の受刑者たちから、「とっとと食べてしまって早くこっちの作業終わらせてくれ」という無言のプレッシャーがかかることになる。
ゆっくり味わっている余裕などはない。先を争うようにガツガツと、5分~10分で終わらせることになる。食事なのに疲れるわぁ。
<出房>
朝一番の慌ただしい時間が終われば工場へ「出勤」することになる。
工場別に監房が振り分けられているので、いわば同室の受刑者は「同僚」である。みんな仲良く同じ工場へ行くことになる。
廊下に整列することになるが、監房を一歩出れば再び軍隊式である。
「整列」「前に習え」に始まり、隊列を崩さないように「行進」して行かなければならない。
………着くまでずっとこれ。ため息が出る時間だ。
<作業開始~作業終了>
作業中は一時間を数時間に感じるほど長く、希望に関係なく完全に「やらされている」作業であるため、充実感などを感じることはほとんどない。
作業中の楽しみといえばやはり「昼食」である。それだけを考えて気力を振り絞るのである。
溶接工場であればバーベキューコンロや煙突なんかを作ったり、木工工場であればタンスや机などの家具を作ったりする。
デスクワークの経理工場や図書工場では、受刑者たちの作業賞与金(一般社会でいうところの「給料」)の計算や本の管理など刑務所内のデータ管理を行う。
この2つはパソコンを使える(インターネット接続はない)唯一の工場で、ある程度の学力があり長年問題を起こさなかった「エリート受刑者」しか行けない。
炊飯工場では受刑者たちの食事を作ったり配食を行う。また、老人受刑者を介護する作業もある。
同じ受刑者であっても工場によって待遇が違うことは事実で、一般の軽作業を行う工場よりも特殊な技能などを必要とする工場のほうがあらゆる面で恵まれた環境にある。
ちなみに、刑務所で作成された製品は高品質なものが多い。刑務作業は絶対に手を抜けない環境であることが一因である。
<運動と入浴>
作業時間の中に「運動時間」と「入浴時間」が含まれる。
受刑者にとって食事は一番の楽しみだが、その次に楽しみなのがこの2つである。
運動は、運動場(大)・運動場(小)・体育館の3種類の場所で行われ、工場別に順番が決められている。
運動時間に入ってしまえば誰と話してもいいし、温かい太陽の下「外に出れる」唯一の時間なのだ。
運動場ではソフトボールが人気。ただし、ボールはゴム製でバットはプラスチックのカラーバットである。
体育館ではバレーボールが人気。ただし、ボールはブヨブヨのビニール製である。
そして、受刑者によっては「陰口」を運動の楽しみの一つとしている場合がある。
「あいつがムカつく」「あいつは変だ」などの悪口から、「あそこの宝石店を今度は狙おう」「ドラッグの売人はこいつがいい」「強盗のコツ」などの犯罪相談まで、ありとあらゆる会話が交わされる。
刑務所は表向き更生の場とされているが、実際は犯罪を助長している部分も大きいのである。
そんな殺伐とした刑務所での一つの楽しみが入浴だ。
実際、入浴を楽しみにしている受刑者も多い。
しかし、入浴には自由などはなく多くの制限がある。
まず、「入浴始め!」から「入浴終了!」。着衣と整列までの時間がなんとたったの15分と、とにかく短いのだ。ゆっくりと湯船に浸かっている暇なんてない。
また、私語は一切禁止、使えるお湯の量は洗面器16杯までと決められている。
そして、大きな浴場の隅では刑務官が仁王立ちで監視している。
ある日僕は、「16杯の恐ろしさ」を知ることになった。
(刑務官の隙をついて)バッシャバッシャとお湯を使いまくって20杯を軽く超えた。
その時何となく視界の隅に影を感じ、頭上から太い太い声が聞こえた。
浴場に気持ちいいほどの怒声が響き渡る。
実はこの刑務官。以前に面会の引率の時にお世話になった人で、ちょっと世間話をしたことがあったのだ。そうじゃなかったら即懲罰行きだっただろう。
お風呂に入る時も気を抜けない。それが刑務所なのだ。
監房に帰ると内田さん(仮名)が話しかけてきた。
こうして僕は「16杯の怖さ」と同時に「オヤジの怖さ」を知ることになったのである。
風呂ぐらいゆっくり入らせろよ!と思っていたけど、この事件をきっかけに冷静に考えてみると、犯罪者としてここにいるわけだから「風呂に入らせてもらえるだけありがたい」と考えるべきなのだろうと思う。
実は、この内田さんとの会話の中に刑務所生活のポイントが含まれていた。最後の「…懲罰になれば他の工場に強制的に移動させられるし、ここにいる人とは2度と会えなくなるもんねぇ。」という部分である。
これは同じ工場に気の合う人を見つけて仲良くなった場合はデメリットだ。しかし逆に考えると、懲罰になれば「同じ工場の人間とは合わなくて済む」ということになる。
このシステム(?)利用する受刑者もいるのだ。
例えば、工場や同じ監房にどうしても気に入らない受刑者がいる場合である。
いっしょに生活することが我慢できなければ、お湯を使い過ぎる「水の不正使用」や、作業したくないとごねる「作業拒否」などの軽い懲罰の対象となる行為をわざとすればいいのである。
そうすれば懲罰と環境の変化と引き換えに、その受刑者と合わなくて済むことになる。
これは実際に実行する受刑者がいる「ポピュラーな」逃げの戦法である。
さすが、強盗殺人で初犯から12年を喰らった内田さんの言葉は深いぜぇ・・・。
ちょっと話が脱線したが、つまり、運動と入浴は受刑者の楽しみだけど気は抜けないよってことだね。
<作業終了~夕食>
長い長い作業時間が終われば、来た時と同じように軍隊行進でそれぞれの監房に帰ることになる。
刑務作業とはいっても、作業が終わった時の解放感は一般社会のそれと同じである。非常にすがすがしい気分になる。
監房に帰るってしばらくすると朝と同じように点検があり、一日の中のメインイベント「夕食」が待っている。
夕食は油ものなどのカロリーの高いメニューが多く、週に何度かはプリンやヨーグルトなどのデザートが付くこともある。
外に出れば100円でも食べたくないと思うような内容の食事でも、ここでは一日一番のご馳走となるのだ。
刑務所生活の恩恵に「痩せることができる」というものがあることは以前に話したことがあるが、もう一つの恩恵がある。
それが、食べ物の「好き嫌いがなくなる」ということである。受刑生活の中であれが好きだとかこれが嫌いだとか言っていると、食べるものがどんどん減っていく。つまり、「出されたものは何でも食べないとやっていけない」のである。
人によって差があるが、受刑生活が終わると同時に好き嫌いが復活するというケースもあるけどね。
とにかく刑務所では出されたもの以外食べれないんだから、食べるしかないのだ。
<余暇(自由)時間>
夕食が終われば余暇時間である。この時間は自由時間と捉えることもできるが、完全に自由ではない。
まず、寝転がってはダメ。壁によりかかってはダメ(これが地味にツラい)。意味もなく立ってはダメ。大声はダメ。他の受刑者に触れてはダメ。などの規制がある。
とはいっても受刑者にとって余暇時間は安らぎの時間であることは確かである。
一番の楽しみはなんといっても「テレビ鑑賞」である。拘置所にはテレビがなかったが、テレビがあるとないの差は非常に大きい。
テレビ鑑賞の時間はおおむね19時~21時までの2時間。
たったの2時間である。しかし、この2時間が受刑者にとって社会を繋がることができる貴重な時間となる。
刑務所の場所によってチャンネルの数に差があるが、それでもテレビの価値は高い。
ちなみに、テレビは液晶ではなくブラウン管。地デジチューナーで鑑賞する。
ここでおもしろいのが、受刑者の中で人気の番組が「列島警察24時」などの犯罪ドキュメンタリー番組であること。
捕まっている犯罪者が捕まる犯罪者を見て楽しむという、なんとも滑稽な風景である。
そして、
とか、
などのしょーもない会話が交わされることになる。
長い受刑生活で変に刑法に詳しくなった受刑者がいれば、テレビの中の容疑者について具体的な刑期を計算してくれる。一体なんなんだこの状況は。
テレビの電源は受刑者で操作することはできず、刑務官が一括管理している。時間になればスイッチが入り、終われば容赦なく消される。
野球中継の9回裏であっても、ボクシング中継の12ラウンドであっても容赦なくプッツリいかれる。
スポーツ中継の日はテレビが消えると同時に各監房から「あーーー…」という哀しい声が聞こえる。
テレビの鑑賞時間以外やおもしろいテレビ番組がない時は、各自本を読んだり、手紙を書いたり、雑談をしたりする。
また、性欲が蓄積された受刑者はトイレのスペースで性欲を抑えることもある。自慰行為は厳密には懲罰の対象となる行為である。しかし、黙認されているのが現状である。
男である以上そこを抑えるのは難しいだろうし、夢精されたらメンドクサイという理由もあるらしい。厳格な規則だらけの刑務所で、唯一とも言えるユルい部分がここ。
そして、受刑者の数少ない娯楽の一つが本である。本の譲渡は認めらていないが、同じ監房内での貸し借りはできるので、おもしろい本をたくさん持っている受刑者は人気者になれる。
「官本」と呼ばれる刑務所が所有している本を借りることもできるが、古いものが多くあまり人気はない。
ある映画のセリフで「本を読むなら学校か刑務所」という言葉があったが、それは当たっている。自由はないが時間は有り余っている。
本を読むには最適な環境である。逆に本が読めないとツラい。受刑者の中には読み書きが満足にできない人間もいるのだ。
<仮就寝~消灯(減灯)・就寝>
余暇時間の途中に「仮就寝」という時間があるが、これは「布団を敷くなら寝てもいいですよ」という時間である。
畳に横になると懲罰だが、この時間に布団を敷いて横になるのは許可されている。
時間の感覚がおかしくなっている受刑生活の中でも、楽しい余暇時間だけはあっという間に過ぎていく。
就寝時間の10分前になると怪しげな音楽が流れ出し、監房の蛍光灯の明るさが30%ぐらいに落とされる。
これが「そろそろ寝ろよ」の合図である。
全員が布団を引くことと寝ることを強制されるそれが「就寝時間」である。
コンビニのシャッターが下りることがないように、刑務所内の監房の電気が真っ暗になることはない。消灯という名の「減灯」である。
「真っ暗じゃないと寝れない」という人がいるかもしれない。そんなことは関係ない。ここは刑務所である。
こんな一日を繰り返しながらいつかは来る出所の日をひたすら待つのである。
罪を背負う理由と、それを償う方法はいろいろあると思うが受刑者となることの代償は非常に大きい。想像以上に大きいものである。
人生の中に塞ぐことのできない大きな穴があくことになる。
「謝って済むなら警察はいらない」という言葉があるが、これは正しい。人間社会には謝っても済まないこともたくさんあるのである。
予期せぬ事態から受刑者となった僕つぶお。
受刑生活の中で何を得ることができるのか。そもそも受刑生活に得るものはあるのか。
刑務所は日本であって日本ではない。一つの別の国のように感じる。刑務所という国にはどんなものがあるのだろうか。
つづく…